~しなやかに したたかに~ 乳がんとのお付き合い
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今週一杯で診断書が切れる。
悩みの種だった文字の認識や視野狭窄は治った(と思う)ので、仕事に戻るには良いタイミングだ。
けれど、右腕、右肩の痛みが辛い。
身体を起こすと痛みが強くなる。
横になっていても、夜眠れない痛みが続く。
それは、ほぼ一定の痛みで鎮痛剤(医療用麻薬)は効かない。
初診のとき不思議先生が言われた、「ガンとの闘いというより、痛みとの闘いになりますよ」という言葉が蘇る。
今なら一日家にいるので、昼間でも痛みの合間に眠ることができる。
不謹慎な言い草だが、仕事に行けば、生活のリズムも整うし、気持ちも前向きになる。
けれど、この状態で仕事に行く自信がない。
出勤してすぐに病欠するのも無責任な話しだ。
出勤するからには、人並みに仕事しなければならない。
明日、緩和ケアの予約があるので、考えてみます。
悩みの種だった文字の認識や視野狭窄は治った(と思う)ので、仕事に戻るには良いタイミングだ。
けれど、右腕、右肩の痛みが辛い。
身体を起こすと痛みが強くなる。
横になっていても、夜眠れない痛みが続く。
それは、ほぼ一定の痛みで鎮痛剤(医療用麻薬)は効かない。
初診のとき不思議先生が言われた、「ガンとの闘いというより、痛みとの闘いになりますよ」という言葉が蘇る。
今なら一日家にいるので、昼間でも痛みの合間に眠ることができる。
不謹慎な言い草だが、仕事に行けば、生活のリズムも整うし、気持ちも前向きになる。
けれど、この状態で仕事に行く自信がない。
出勤してすぐに病欠するのも無責任な話しだ。
出勤するからには、人並みに仕事しなければならない。
明日、緩和ケアの予約があるので、考えてみます。
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6回目の不思議医院。
髄膜の浮腫はほぼ消失したらしい。
二週間ほど前から文字の認識が、一週間ほど前から視野が完全に回復したのを感じていた。
だから、「快くなっている感覚」はあったのだが、やはり医師から聞くと嬉しい。
これまでの2回の通院(4回目、5回目)は、髄膜の浮腫のためだった。
先月始め、3回目の通院から、腫れ上がって全く動かなくなった右手の治療だったのに、中断していたのだ。
今日から右手の治療を再開していただく。
この右手は、リンパ浮腫で腫れ上がっているうえに、動かないし筋力もほとんどない。
不快な痛みと痺れがあるけれど、感覚はごく一部しかない。
それは、ガンが神経を侵したためと言われていた。
不思議先生はそれに加えて抗がん剤の影響を言われる。
確かに、毎回抗がん剤の点滴から二週間ぐらい経つと、症状が進んでいたのだ。
始めの3クールは気がつかなかったけれど、4クール目に疑念が生じ、5クール目でそれが大きくなったのだ。
誤解がないように書くけれど、私は抗がん剤を否定しているわけではない。
副作用もあるけれど、それ以上に効果がある治療と思っている。
私のような「トリプルネガティブ」と言われるタイプの再発乳がんに使える薬は、抗がん剤しかない。
「私の体質に合わないような気がする」
それだけのことなのだ。
原因はともかく、この右手の状態はQOLに大きく関わっている。
だから外科の主治医も、「考えられる限りの」治療をして下さった。
(残念ながら私にはほとんど効果がなかった)
不思議医院の一度の治療で、肘から指先までの腫れが引き、痛みや痺れもマシになってきた。
かなりの量の薬で抑えていた痺れは、薬がなくても我慢できる程度になった。
1日75mg飲んでいた医療用麻薬も1日10mgになり、現在も減量を進めている。
どこまで回復するか、わからないけれど、悪くなるばかりだったのが少しでも快くなっていくのは嬉しい。
できれば、元通りの手になって欲しいけれど。
今回の不思議医院は、母 が付き添ってくれた。
新幹線の時間まで余裕があったので、半年ぶりでケーキセットを楽しんだ。
今までは時間の余裕があっても、体力も食欲もなかったのだ。
混雑しているデパ地下で、父へのバレンタインのチョコを選んだ。
視野が狭くなっていたときは、乗換駅で見えない側を母にガードしてもらい、ゆっくり歩くのが精一杯だったのだ。
帰宅後、そんな私の状態を母は父に弾んだ声で報告し、父は読んでいた本を閉じて聞いていた。
その様子を眺めるのは私にとって、「自分に体力がついてきた」と感じた以上に嬉しいことだった。
髄膜の浮腫はほぼ消失したらしい。
二週間ほど前から文字の認識が、一週間ほど前から視野が完全に回復したのを感じていた。
だから、「快くなっている感覚」はあったのだが、やはり医師から聞くと嬉しい。
これまでの2回の通院(4回目、5回目)は、髄膜の浮腫のためだった。
先月始め、3回目の通院から、腫れ上がって全く動かなくなった右手の治療だったのに、中断していたのだ。
今日から右手の治療を再開していただく。
この右手は、リンパ浮腫で腫れ上がっているうえに、動かないし筋力もほとんどない。
不快な痛みと痺れがあるけれど、感覚はごく一部しかない。
それは、ガンが神経を侵したためと言われていた。
不思議先生はそれに加えて抗がん剤の影響を言われる。
確かに、毎回抗がん剤の点滴から二週間ぐらい経つと、症状が進んでいたのだ。
始めの3クールは気がつかなかったけれど、4クール目に疑念が生じ、5クール目でそれが大きくなったのだ。
誤解がないように書くけれど、私は抗がん剤を否定しているわけではない。
副作用もあるけれど、それ以上に効果がある治療と思っている。
私のような「トリプルネガティブ」と言われるタイプの再発乳がんに使える薬は、抗がん剤しかない。
「私の体質に合わないような気がする」
それだけのことなのだ。
原因はともかく、この右手の状態はQOLに大きく関わっている。
だから外科の主治医も、「考えられる限りの」治療をして下さった。
(残念ながら私にはほとんど効果がなかった)
不思議医院の一度の治療で、肘から指先までの腫れが引き、痛みや痺れもマシになってきた。
かなりの量の薬で抑えていた痺れは、薬がなくても我慢できる程度になった。
1日75mg飲んでいた医療用麻薬も1日10mgになり、現在も減量を進めている。
どこまで回復するか、わからないけれど、悪くなるばかりだったのが少しでも快くなっていくのは嬉しい。
できれば、元通りの手になって欲しいけれど。
今回の不思議医院は、母 が付き添ってくれた。
新幹線の時間まで余裕があったので、半年ぶりでケーキセットを楽しんだ。
今までは時間の余裕があっても、体力も食欲もなかったのだ。
混雑しているデパ地下で、父へのバレンタインのチョコを選んだ。
視野が狭くなっていたときは、乗換駅で見えない側を母にガードしてもらい、ゆっくり歩くのが精一杯だったのだ。
帰宅後、そんな私の状態を母は父に弾んだ声で報告し、父は読んでいた本を閉じて聞いていた。
その様子を眺めるのは私にとって、「自分に体力がついてきた」と感じた以上に嬉しいことだった。
先日、脳外科に行った。
「家族同伴で」と指示されていたので父に付き添ってもらった。
脳外科の医師は、「手術の話し以外しません」という感じで、手術を躊躇う私たちと会話にならなかった。
脳外科医は、「後遺症は出るでしょう。ですが、手術しなければ命はありません」とおっしゃる。
が、再発乳癌患者の命は手術しても限られているのだ。
ともかく、今の症状では仕事ができないので、職場に出す診断書をお願いした。
「病名と、こんな症状でこの期間は就業不能」といったものを書いていただけないかと思ったのだ。
(外科では「病名・この期間就業不能」でいただいていた。)
が、脳外科で封をして渡されたそれは休業期間が入っておらず、職場で通用しないものだった。
仕事を休むために出す診断書には当然、「休む期間」が入るものと思いこんでいた私も甘かった。
が、事前に内容について確認してくれても良いではないか。
むしろ、「休業期間を書けないから診断書は出せません」と言われる方が納得できる。
何だかなー。
たとえ手術することになっても、この医師には切られたくない。
。
今日は緩和ケアと外科を受診。
懸案の診断書は、緩和ケアの医師が書いてくれた。
内容を私も確認した上で署名される。
不思議医院のことは最初から伝えてある。
今回のことについて、脳外科の所見はあくまでも「脳転移疑い」であり、「脳転移」と断言しているわけではないと言われる。
だから、不思議医院の治療も続けて、手術も受けるようすすめられる。
常識的にはそれがベストだろう。
だけど躊躇ってしまう。
すると、もし症状の悪化を感じたらすぐに連絡するようにと言われる。
脳外科に行き辛くなったので有り難く、嬉しかった。
外科。
化学療法を中止し、不思議医院に行ってからの経過を話す。
そして、今は脳の手術を躊躇っていることも伝える。
すると医師は、こう言われた。
不思議医院について自分は全く信用しないが、考える限りの治療に反応しなかった右腕は快くなってきている。
「生活の質」を考えると、不思議医院を続けて良いと思う。
何か自分で役に立てることはないか?
この医師に手術してもらって良かったと思った。
時々CTなどで経過を診ていただきたいのだ。(脳外科は行き辛くなったので、頭部も)
そうお願いし、早速胸部を撮ってもらう。
化学療法終了時のCTと比べて・・・影が増えていた!
やはり不思議医院はマヤカシか?
化学療法に戻ることを考えた方が良いかもしれない。
すると医師は、症状は明らかに改善しており、私の全身状態も良いので、今は不思議医院で良いのではないかと言われる。
ガン治療について、この医師のポリシーは「生活の質を保つこと」なのだろう。
それは今私が一番大切にしたいことである。
この医師が主治医で本当に良かった。
医師と話していて気がついた。
不思議医院のことは無視しても、手術を受けるのか微妙だ。
脳の腫瘍だけでなく、私のこれからの生き方も含めてて考えなくては決められない。
例えば意思表示もできない状態になって2年生きるより、自由な半年を生きたい。
今、頭部が原因の症状は軽快している。
ならば不思議医院で良いではないか。
やはりQOLを落とす手術は受けたくないのだ。
そう決めたとき、すっと心が軽くなった。
「家族同伴で」と指示されていたので父に付き添ってもらった。
脳外科の医師は、「手術の話し以外しません」という感じで、手術を躊躇う私たちと会話にならなかった。
脳外科医は、「後遺症は出るでしょう。ですが、手術しなければ命はありません」とおっしゃる。
が、再発乳癌患者の命は手術しても限られているのだ。
ともかく、今の症状では仕事ができないので、職場に出す診断書をお願いした。
「病名と、こんな症状でこの期間は就業不能」といったものを書いていただけないかと思ったのだ。
(外科では「病名・この期間就業不能」でいただいていた。)
が、脳外科で封をして渡されたそれは休業期間が入っておらず、職場で通用しないものだった。
仕事を休むために出す診断書には当然、「休む期間」が入るものと思いこんでいた私も甘かった。
が、事前に内容について確認してくれても良いではないか。
むしろ、「休業期間を書けないから診断書は出せません」と言われる方が納得できる。
何だかなー。
たとえ手術することになっても、この医師には切られたくない。
。
今日は緩和ケアと外科を受診。
懸案の診断書は、緩和ケアの医師が書いてくれた。
内容を私も確認した上で署名される。
不思議医院のことは最初から伝えてある。
今回のことについて、脳外科の所見はあくまでも「脳転移疑い」であり、「脳転移」と断言しているわけではないと言われる。
だから、不思議医院の治療も続けて、手術も受けるようすすめられる。
常識的にはそれがベストだろう。
だけど躊躇ってしまう。
すると、もし症状の悪化を感じたらすぐに連絡するようにと言われる。
脳外科に行き辛くなったので有り難く、嬉しかった。
外科。
化学療法を中止し、不思議医院に行ってからの経過を話す。
そして、今は脳の手術を躊躇っていることも伝える。
すると医師は、こう言われた。
不思議医院について自分は全く信用しないが、考える限りの治療に反応しなかった右腕は快くなってきている。
「生活の質」を考えると、不思議医院を続けて良いと思う。
何か自分で役に立てることはないか?
この医師に手術してもらって良かったと思った。
時々CTなどで経過を診ていただきたいのだ。(脳外科は行き辛くなったので、頭部も)
そうお願いし、早速胸部を撮ってもらう。
化学療法終了時のCTと比べて・・・影が増えていた!
やはり不思議医院はマヤカシか?
化学療法に戻ることを考えた方が良いかもしれない。
すると医師は、症状は明らかに改善しており、私の全身状態も良いので、今は不思議医院で良いのではないかと言われる。
ガン治療について、この医師のポリシーは「生活の質を保つこと」なのだろう。
それは今私が一番大切にしたいことである。
この医師が主治医で本当に良かった。
医師と話していて気がついた。
不思議医院のことは無視しても、手術を受けるのか微妙だ。
脳の腫瘍だけでなく、私のこれからの生き方も含めてて考えなくては決められない。
例えば意思表示もできない状態になって2年生きるより、自由な半年を生きたい。
今、頭部が原因の症状は軽快している。
ならば不思議医院で良いではないか。
やはりQOLを落とす手術は受けたくないのだ。
そう決めたとき、すっと心が軽くなった。
私の右胸は、2回の放射線治療でかなりダメージを受けるている。
場所によっては、許容線量ギリギリまで照射してあるので、ダメージからの回復は難しいだろうと、諦めていた。
けれど、人間の身体って素晴らしい。
ふと気付きば、硬く縮まっていた皮膚に弾力が戻ってきている。(もちろん以前と同様ではないけれど)
病んでいても、回復している部分がある。
回復しようとしている部分がある。
嬉しく、いとおしい。
場所によっては、許容線量ギリギリまで照射してあるので、ダメージからの回復は難しいだろうと、諦めていた。
けれど、人間の身体って素晴らしい。
ふと気付きば、硬く縮まっていた皮膚に弾力が戻ってきている。(もちろん以前と同様ではないけれど)
病んでいても、回復している部分がある。
回復しようとしている部分がある。
嬉しく、いとおしい。
先日撮影してもらったMRIの結果に腰を抜かした私は、週末を不安な思いで過ごした。
不安に落ち込んでいても始まらない。
今後の方針をある程度考えておくことにした。
将来、仕事を続けることが困難になったときのことも考えた。その場合、娘の教育費は、家のローンと並んで大きな負担になる。
何しろ、通学圏に一般的な短大、大学がないので、学費だけでは済まないのだ。
それから、当面の仕事のことも考えた。
日本語が不自由では、仕事にならない。
何とか仕事は続けたいけれど、確実な仕事ができない状態で、出勤する方が無責任だ。
体力も落ちているので、金曜に出勤したときは、勤務時間中座っていることも辛たった。(数日前から、その傾向があった)
どんな治療を受けるにしても、症状が治まるまで休むことに決める。
それから、不思議医院の治療のこと。
とても順調に治療が進んでいた。
入院するなら不思議医院での治療は中断しなければならない。
ともかく、早い時期に不思議先生に相談した方が良さそうだ。
週明けに、父に付き添われて不思議医院に行った。
症状がキツくなったのか、半分朦朧としながら不思議医院に着いた。
不思議先生の診断では、脳にはガンも、ガン以外のものも見当たらない。
髄膜に7~8cmの浮腫が見られる。
手術は不要というものだった。
もちろん、MRIの結果は無視できない。
けれどどうしても納得できないことがある。
普通、脳に7cmもの腫瘍があれば、頭痛、痙攣、嘔吐などが起こるのではないか?
たまたま数年前、乳ガンの発病より前に脳外科で検査を受けたことがあるが、そのときは全く異常なく、脳内に7cmもの腫瘍を受け入れる空間もなかったのだ。
来週の脳外科受診まで、不思議先生の治療で様子をみても良いかと思う。
今、視野や文字の認識に明らかな変化はないが、朦朧状態は治まり、10日ぶりに食欲が出てきた。
もちろん、希望に縋るあまりに、適切な治療のタイミングを逃さないよう、自戒しなければと思っている。
例によって、入力チェックできていません。
誤入力、誤変換などあるかと思いますが、ご容赦下さいね。
「不思議医院」は保険医療機関です。念のため。
不安に落ち込んでいても始まらない。
今後の方針をある程度考えておくことにした。
将来、仕事を続けることが困難になったときのことも考えた。その場合、娘の教育費は、家のローンと並んで大きな負担になる。
何しろ、通学圏に一般的な短大、大学がないので、学費だけでは済まないのだ。
それから、当面の仕事のことも考えた。
日本語が不自由では、仕事にならない。
何とか仕事は続けたいけれど、確実な仕事ができない状態で、出勤する方が無責任だ。
体力も落ちているので、金曜に出勤したときは、勤務時間中座っていることも辛たった。(数日前から、その傾向があった)
どんな治療を受けるにしても、症状が治まるまで休むことに決める。
それから、不思議医院の治療のこと。
とても順調に治療が進んでいた。
入院するなら不思議医院での治療は中断しなければならない。
ともかく、早い時期に不思議先生に相談した方が良さそうだ。
週明けに、父に付き添われて不思議医院に行った。
症状がキツくなったのか、半分朦朧としながら不思議医院に着いた。
不思議先生の診断では、脳にはガンも、ガン以外のものも見当たらない。
髄膜に7~8cmの浮腫が見られる。
手術は不要というものだった。
もちろん、MRIの結果は無視できない。
けれどどうしても納得できないことがある。
普通、脳に7cmもの腫瘍があれば、頭痛、痙攣、嘔吐などが起こるのではないか?
たまたま数年前、乳ガンの発病より前に脳外科で検査を受けたことがあるが、そのときは全く異常なく、脳内に7cmもの腫瘍を受け入れる空間もなかったのだ。
来週の脳外科受診まで、不思議先生の治療で様子をみても良いかと思う。
今、視野や文字の認識に明らかな変化はないが、朦朧状態は治まり、10日ぶりに食欲が出てきた。
もちろん、希望に縋るあまりに、適切な治療のタイミングを逃さないよう、自戒しなければと思っている。
例によって、入力チェックできていません。
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papagena
性別:
女性
職業:
団体職員
自己紹介:
次々に訪れる
人生のイベント
だから生きているって
面白い♪
イヤ~なことも
前向きに受け止めて
しなやかに したたかに
過ごしたい
★西日本在住
★40代前半
☆本と音楽が好き
☆家事はキライ
☆蚊とヘビと痛いのは
大の苦手
☆好きな場所
東京ディズニーシー
人生のイベント
だから生きているって
面白い♪
イヤ~なことも
前向きに受け止めて
しなやかに したたかに
過ごしたい
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